松山幾之介 暗殺地

 

岡山で殺害された新選組隊士がいる事はあまり知られていません。 松山幾之介は、池田屋事件直前の元治元年五月に岡山に潜入しました。 その目的は会津藩が備前岡山池田藩の動向を探る為で、新選組に備前藩の探索を命じ、派遣されてきたのが岡山出身隊士である松山幾之介でした。 

松山は岡山潜入後、旧知の藩士に接触して情報を取ろうとしました。 しかし既に京の宮部鼎蔵から間者が潜入すると連絡を受けて警戒していた為に、すぐに見破られました。  

七月六日深夜、松山は奥市(岡山市中区御成町)で殺害され、御成橋(同御成町)に斬肝状と共に松山の首が晒されました。余談になりますがさらにもう一人新選組隊士が岡山に潜入していて、その隊士は土方歳三であった、という話も残っています。

 

  最寄駅はJR岡山駅前から路面電車 東山行 終点の東山電停。

  奥市の松山が惨殺された場所は岡山ハッピィライフ操風の北付近。首が晒された御成橋は

  県立朝日高校南東部(敷地外)にある小橋。 それぞれ東山電停から約500m