岡山と新選組

  岡山県と新選組の関係をご紹介します。

 

 

新選組における岡山県関係隊士数

 

新選組の総隊士数は文久三年の誕生から箱館戦争終結までの六年間で、延べ約四百五十名。

岡山関係の新選組隊士は推測の隊士も含めて二十六名います。 

隊士の二十人に一人は岡山県関係者で、全国でも屈指となっています。

 

これは戊辰戦争時に仙台で桑名、備中松山、唐津の三藩の藩士が箱館に渡航する為に

入隊した、いわゆる「箱館新選組隊士」が多いという事情があります。

 

 

池田屋事件で活躍した岡山県隊士

 

池田屋事件当時の新選組隊士数は四十一名。 出動隊士は三十四名。

当時岡山県隊士は谷三兄弟、竹内元太郎、中村金吾、浅野藤太郎、松山幾之介の七名がおり、

隊士の六人に一人が岡山県隊士という状態でした。 池田屋事件時に岡山に潜入していた松山を

除く六人全員が池田屋に出動しています。

池田屋出動隊士中、六人に一人が岡山県隊士でした。

岡山県隊士が初期新選組の支えとなったことは間違いありません。 

 

 

板倉勝静と新選組

 

 備中松山藩主・板倉勝静と新選組とは色々な関係で結ばれていました。 近藤らが浪士隊として上京し、

 残留した後、芹沢鴨らと提出した上申書を老中として受け取ったのが板倉勝静です。

 慶応三年六月の新選組幕臣取立の通達を出した老中も板倉勝静だ。同年八月に幕府目付の

 原市之進が暗殺された後、新選組は板倉勝静の護衛任務にも就いています。

 戊辰戦争では、土方率いる旧幕軍が宇都宮城を落とした際に宇都宮で謹慎状態であった板倉勝静を

 解放し、板倉勝静はその後、仙台から新選組と共に箱館へ渡航しました。

 このように、板倉勝静は新選組と、その設立から最期まで、ずっと関わりを持っていたのです。

 新選組と縁の深いのは、会津藩主松平容保とすぐに連想される所ですが、備中松山藩主板倉勝静も

 新選組といろいろな縁が深かったのです。

 

 

岡山関係隊士リスト

 

備中松山藩 戊辰戦争移動図

 

岡山県新選組史跡

 松山幾之介暗殺の地

 安富才介墓所

 乙部剛之進墓所

 永倉新八供養碑